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クロスカルチャー・コンサルタントを経て、サンフランシスコ州立大学大学院カウンセリング学修士(キャリア専攻)取得。サンフランシスコ大学キャリアセンターに勤務後、ロサンゼルスで開業。
専門分野は、キャリア開発、自己啓発、転換期支援、異文化交流。
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| 「面接は自分を知って語ること」 |
7月に、シカゴで開催されるキャリア開発協会の学会で発表することになった。テーマは、日本人学生の面接能力向上だ。(英文タイトルは、Cultural insights for improving interview skills of Japanese students in the U.S.)大学のキャリアセンターでカウンセリングをしている際、日本人の学生が、他の国の学生と違う反応をすることに気づいたのがきっかけだった。
アメリカ式インタビューに不案内なのは、母語、国籍を問わず、どの学生も、同じようなものである。だから、キャリアカウンセラーが、指導に当たるのであるが、模擬面接を勧めたときの反応が、まず、違う。「それは素晴らしいチャンスだ!」と喜ぶ他国の学生がいる一方で、たいていの日本人学生は、困惑の表情を浮かべる。ビデオカメラを設置するので空テープをもってきてくださいとか、服装も評価の対象になるのできちんとした格好で来てくださいというと、とにかく怖気づいてしまうのだ。そこで、カウンセラーが、ビデオを見れば、自分では気づかない表情や話し方を客観的に見て修正することができるし、服装を事前に点検してもらえば、当日、とんでもない格好をしていって顰蹙を買うこともないと模擬面接の利点を説明。さらに、練習すると結果が格段によくなることを強調すると、硬直していた体がやっとほぐれて、模擬面接の予約を入れる。
ところが、いざ模擬面接をしてみると、今度は、見ている方が辛くなるほど、緊張する。手を握り締め、額がじっとり汗ばむか、そうでなければ、青ざめる。いすの腰掛け方も浅く、今にも、逃げ出しそうな雰囲気だ。視線は、考え込むたび、あっちへさまよい、こっちへさまよい。これでは、せっかく実力があっても、それを的確に表現できないために、大損をしてしまう。他の国の学生は、20歳そこそこでたいした経験がなくても、堂々としており、言いたいことが多すぎて、早口になることはあっても、いすに深々と腰掛け、面接時に足を組む余裕さえみせているというのにだ。
この差はいったいどこから来るのだろか。そう思いながら、日本人学生の模擬面接を実施するうち、日本人の学生に共通する特徴が見えてきた。
1)自分の英語を異常に気にする。2)質問をしない。3)言語以外の伝達手段を使わない。
日本人の学生は、渡米してもなお、「日本」という鎧兜の中にいる。「英語くらいできないと」、「出る杭は打たれる」、「長いものには巻かれろ」、そんな日本社会の暗黙の価値観を無意識のうちに骨身にしみ込ませ、身動きできなくなっているのである。
この話を同僚のアメリカ人カウンセラーにしたら、大いに興味を示された。アジアにはアジアの文化があると知っている彼らも、中国人や韓国人にはない特徴を日本人の学生だけが共有していることまでは気がつかない。たとえ気がついたとしても、「私」中心に物事を考え、「私」の疑問を晴らすために質問し、発言するのが第二の天性となっている英語民族である彼らには、日本人の学生がなぜ、質問しないでいられるのか、解明する術がない。
なす術がないのは、日本人の学生も同じである。人間は、日常の行動や思考の大半を過去に学習したことの自動的繰り返しで行っているため、相当な訓練を積まない限り、自分の行動や思考のパターンを客観的に把握することができない。だから、当事者であっても、どうして自分が面接時に舞い上がってしまうのか、言いたいことが十分の一も言えないのはなぜなのかが、わからない。原因がわからなければ、解決の対策もたてようがないというものだ。
模擬面接が終わると、カウンセラーは、どの学生に対しても、全体的な印象を語り、握手のしかた、視線の合わせ方、しゃべる速度、受け答えのしかたなど、面接の基本を学生とともに確認する。「Good Luck!」というカウンセラーの言葉を合図に、セッションは終了となるのだが、このとき、日本人であるカウンセラーの私が、日本語で話しかけると、日本人の学生は、まず一人の例外もなく、吸い寄せられるように、立ち上がりかけた腰を椅子に戻す。
アメリカ人のカウンセラーは、私が、日本の事情を説明すると、初めて耳にする話題に、大いに感動、もっと、話を聞きたがる。そして、日本人の学生は、私が、アメリカの事情を説明すると、目からうろこが落ちたように、表情を輝かせ、何度も何度も大きくうなずく。
自ら日本で育ち、渡米10年、アメリカの事情にも明るくなってきた私がしゃべる内容は、どちらかしか知らない人間にとって、全体像を見る格好のチャンスになるらしい。
| 「日本人が面接ベタになる背景」 |
外国語を学ぶのは、楽しいことだ。異国に住む人々との交流を促し、言葉が反映する文化や価値観の違いを垣間見る悦びを味あわせてくれる。もっと知りたい、もっと見たい。その欲求が、学習の動機となれば、人は、外国語を無理なく、楽しく習得できる。
だが、こと英語になると、日本にいる限り、楽しいから学ぶなどという悠長なことは言っていられなくなる。英語は、大学入試の必須科目であり、学習の成果は、実用できるかどうかではなく、試験の点数で測られる。英語の成績次第で、将来を左右する大学受験の結果が決まるとなれば、学習の目的は、おのずと試験でいい点を取ることになり、英語を使って何をしたいのかという最も重要な動機付けが、希薄になる。
日本は、外国語イコール英語と考える社会だ。本屋をのぞけば、英語関係の学習教材や書籍があふれ、通勤・通学電車に乗り込めば、英語学校や英語習得を目的とした海外留学の広告が、否応なく目に入る。2002年には、「英語が使える日本人」の育成のための戦力構想を文部科学大臣が発表。カリュキュラムの見直しが行われ、英語力増強プランも打ち出された。子供たちは、「国際人」となることが期待され、英語は、義務教育の一環として、私立校では幼稚園から、公立校では、小学校、または中学校から開始される。週4〜7時間という膨大な時間が、英語の学習に費やされるのだ。
そんな学習環境は、「英語は出来て当たり前、出来なかったら恥ずかしい」という失敗や間違いを恐れる風潮を生み出す。英語学習者は、自意識を刺激され、知らず知らずのうちに、「この程度では、できたうちに入らない」という厳しいハードルを内在化していく。ハードルは、周囲の期待に応じて設定されるので、往々にして自分の実力より、はるかに高い。そのため、何年も英語の勉強を続けている人が、「一からやり直さなければ」と言いいだしたりすることもしばしば。「英語ができます」と、自信をもって言える日本人が、ことのほか、少ないのも、このためだ。
そんな日本の土壌で育まれた自意識は、「本場アメリカ」で、英語が試される面接時に、ピークを極める。居並ぶ面接官を前に、日本人の学生は、自分の英語がどう評価されるか、言いたいことがうまくいえるかという不安と緊張の固まりになってしまうのだ。日本人の学生が、質問しないという現象も、実は、この自意識過剰に根ざしている部分が大きい。アメリカの面接で、相手を上座に置き、謙譲の美徳を発揮する必要がないことは、日本人の学生もちゃんと知っている。それでも、質問が口をついて出ないのは、「こんなことを聞いたら、なんと思われるだろうか」、「間違っていたら恥ずかしい」、「こんな質問、わかっているのが当たり前に違いない」という自己検閲が、頭の中で瞬時に起こり、言葉を抑圧してしまうからである。
言葉が出なければ、視線でカバーするという手もある。思いを込めてじっと相手の目を見れば、それが恋愛の相手でなくとも、結構、意思は通じるものだ。だが、日本人の学生は、往々にして、面接官と目を合わせようとしない。合わせたくても、合わせている暇がないからだ。
この要因となっているのが、文字から入るという特徴を持つ日本の英語教育法である。外国との交流が文書中心に行われていた時代の名残りなのか、日本では、まず、大文字小文字のABCを覚え、次に単語、その次に構文の順で暗記するのが、学習の主軸になっている。もちろん、時代に即したコミュニケーションの重要性は十分に認識されており、盛んな議論が行われるとともに、聴解力を育成するための学習方法も、次々と現場に導入されている。保護者は、子供が、「話しかけに応答できる程度の日常会話」を身につける事を望んでいるという調査結果もあり、いずれは、日本の英語教育が、1)聞く、2)しゃべる、3)読む、4)書くという自然の流れに沿った形になる日がくるかもしれない。
とはいえ、それは先の話で、文字中心教育の影響を受けて大きくなった学生は、依然として、無意識のうちに、耳→目→口という一手間かけた経路で情報処理を行ってしまう。英語を聞くと、反射的に、わかる単語を拾い、頭の中で、意味を直訳。それから、自分が言わんとする答えを考え、単語を思い出し、構文を作って、文法に間違いがないかチェックしてから口に出すのだ。記憶の辞書をめくるたび、視線は、天空に貼り付け。言うべきことを言って、ふと面接官の顔を見れば、怪訝な視線。「まずい」という場の雰囲気を察知するのは、日本人の得意とするところなので、ますます緊張に拍車がかかり、視線を交わすどころか、すべてのBody languageを放棄せざるを得なくなるというわけだ。
たとえ理屈がわかっても、一朝一夕には変えられない。日本人の鎧兜は、かようにしぶといものなのである。
| 「アメリカ人面接官の質問の真意を知る」 |
面接で緊張するのは、とても自然なことである。ある程度の緊張感は、むしろ、よい結果を生むという報告もあるくらいだ。だが、腰が萎えるほど緊張してしまってのでは元も子もない。そこで、私は、ヘビに睨まれたカエルのような心境に陥っている日本人の学生に、アメリカの就職面接は、一種のお見合いみたいなものだと説明する。面接官は、目の前の求職者が、チームの一員として相応しい人物かどうか見極めようとするし、求職者は、自分の将来を託してもいい職場かどうか、面接官の態度をみながらチェックする。相手がこちらを見るように、こちらも相手をしっかり見つめる。立場は対等。緊張するのは、どちらも同じ。面接は、一方的に行われるものではなく、お互いがお互いをよく知るために設けられたチャンスなのである。
そんなアメリカの就職面接で、必ずといっていいほど問われる質問がある。
1)「ご自身についてお話ください。(Tell me about yourself?)」、2)「当社を希望される理由を説明してください。(Why did you select our company? )」、3)「あなたの3年後、5年後の達成目標をお聞かせください。(What are your goals and aspirations for the next three years? Five years? 」
これらの質問を投げ掛けられて、よどみなく即答できれば、面接は、概ね成功といえる。模擬面接で、たまに、出生地、年齢、家族構成、過去の職歴、移住の経緯などに触れる学生がいるが、面接官が聞きたいのは、目の前の求職者が、企業にとって、有益な人材であるかどうかを判断するための情報だけである。その人の人生観でもなければ、ライフスタイルでもない。その証拠に、就職面接で、年齢、婚姻状況(未婚、既婚、離婚)、性的嗜好(ゲイ、レズビアン、トランスベスタイズなど)、身体障害の有無など、ポジションに関係のない質問をすることは、法律で禁じられている。
質問の意図をしっかりと認識して、周到な準備を行えば、のっけから躓くことはない。
1)の質問は、求職者自身が、自分のスキルをどのように把握しているかを問うものだ。自分の特長を簡潔にまとめて言える表現力とそれをわかりやすく相手に伝えるコミュニケーション能力が、同時に、測られているといっていい。
2)の質問は、これから働くことになるかもしれない職場のことをどれだけ知っているか問うものだ。本気で働く気があるなら、有名だからとか、社屋がきれいだからといった表面的ではない答えを持っているはずである。
3)の質問は、求職者がどのようにキャリアゴールを設定し、それを達成するために、求人ポジションをどう生かそうとしているかを問うものだ。定職率を予測する意味も含まれている。
こうした質問が、アメリカの就職面接で常用されるのは、アメリカに個人のキャリア上昇志向が定着しているからである。終身雇用制が終焉して久しいアメリカでは、勤続年数が長いからといって、自動的に昇進、昇給したり、年金が増加するといったメリットがない。年間査定の結果が悪ければ、容赦なく解雇される。勢い、個人は、自分のスキルに磨きを掛けて、解雇の嵐に吹き飛ばされないように自衛する。5年、10年と仕事の経験を積んでから、大学院に入り、さらなる実力を身につけて、自分の可能性をもっと伸ばせる分野に進出していく人も珍しくない。
そのせいもあって、アメリカの職場は、日本に比べると、格段の差で、人の入れ替わりが激しい。労働省の発表によると、ベビーブーマー(1957〜1964年生まれ)が、18歳から38歳までの間に従事した仕事の平均数は、10.2。(20%が15以上、16%が0〜4)男女ともに、30代半ばよりも、20代初めの方が、従事する仕事の数が多くなっている。
必然、雇用者側も、いかにして、有能な人材を確保し、その定職率を向上させるかに、躍起となる。有能な人間は、往々にして、人一倍キャリア上昇志向が強いうえ、同業他社の引き抜きターゲットにもなりやすい。だから、企業は、実力のある者を高く評価し、昇進、昇給、ボーナスの支給など、その能力に見合った報酬を惜しまない。それだけ優遇しても、なお、引き止めたい人材が、留まるとは限らないのが現実だ。
有能な人材を惹きつけるためには、企業も魅力的でなければならない。常に新しい企画を考え、知名度を上げ、社外に将来性をアピールするとともに、社内では、職場環境の改善を怠らない努力が要求される。
採用にあたっては、当然のことながら、人材開発にかかる費用を十分回収できる見込みがある人物にしか、オファーを出さない。だから、採用通知を受け取る人より、梨の礫(なしのつぶて)を経験する人の方が遥かに多くなるのは、当然なのだ。英語がどの程度できるか、新卒であるか、中途であるか、30代か、60代かに関わらず、梨の礫は、誰もが体験するアメリカ面接事情の一コマといえるのだ。
アメリカの就職面接にコツがあるとするならば、満足のいく回答ができなかったときに、すばやく体制を立て直し、いつまでも引きずらないことである。
1)面接が一通り終わり「質問は?」と問われたとき、2)退席する際、力強く交わす握手の瞬間、3)面接が終わったその日のうちに担当者へ送る簡潔な「Thank you note」、4)面接の後日行うフォローアップコール、あるいはメモなど、挽回するチャンスは、たくさんある。
ベストを尽くしたにもかかわらず、不採用となったときは、担当者にその理由を問うてみるといい。「こちらが探している人材と貴殿の特長が一致しなかったから」という短い返事が戻ってくるだけかもしれないが、それでも、自分自身に問題があるわけではないのだという慰めと、今度は、自分がぴったりはまるところを探そうという前向きな気持ちが得られるので、問うてみるだけの価値はある。
場数を踏めば、コツが掴める。一回一回の体験を糧にして、粘り強く続ければ、必ず、どこかに就職できるのがアメリカだ。面接能力は、習得しまえば、一生ものの財産になる。
| 「アメリカvs日本 これだけ違う面接の中味」 |
アメリカの大学や大学院で勉強する留学生は、約56万5000人いる。(2004/05年度、国際教育に関する研究を行う非営利団体Institute of International Education (IIE)の年次報告書Open Doorの調べ)出身国別にみると、インド、中国、韓国、日本、カナダが、全体の47%を占めている。日本からの留学生は、4万2千215人。前年比3%増しで、9/11以降、顕著になっていた減少傾向に歯止めがかかった様相だ。ちなみに、日本人の学生は、カリフォルニア州、ニューヨーク州、ワシントン州、マサチューセッツ州、オレゴン州の5つの州に、全体の53%が集中している。
アメリカで高等教育を受ける日本人が飛躍的に増えたのは、1985年(1万3千360人)から、1991年(4万7千人)にかけて。年間4万人の大台に乗ってからも、毎年、千人単位で増え続け、97年には、史上最高の4万9千73人を記録した。
こうした動向の背景となったのが、85年のプラザ合意をきっかけにはじまったバブル経済と円の急騰だ。
バブル経済は、これまで絶対であった日本の「枠組み」を根底から揺すぶる歴史的な現象だった。バブル以降の景気の低迷は、企業に大幅な構造改革を強い、その結果、日本従来の雇用制度であった終身雇用制が崩壊。年功序列型賃金制度が見直され、能力主義が取り入れられるようになる。いい大学に入り、いい企業に就職して、定年まで大過なくすごすという常道が、常道でなくなり、新卒者は、「就社」ではなく、自分の適正にあった「業種」を選ぶ姿勢が必要になった。
10年に及ぶ変化の波は、人々の価値観にも大きな影響を与えた。終身雇用制の会社で、「長いものには巻かれろ」を保身の信条にしていた人の多くが、これからは、自分の足で立つ時代だという認識を持ちはじめ、その風潮を反映して「自分探し」という言葉が、流行する。自分が何をしたいのかわからない、何をやっても自信が持てないという自意識過剰の袋小路に迷い込んだ若者は、ニートと呼ばれ、社会問題の一つになった。(NEET:Not in Employment, Education or Training) 職にも就かず、学校機関にも所属せず、就労に向けての努力もしないニートは、労働人口の約1%を占め、現在、64万人に上るといわれる。(2004年推計値、労働経済白書Ministry of health, labor and welfare)
その一方で、変化をチャンスと捉え、国際ビジネスの現場で活躍する人、IT関連部門で起業する人など、頭角を現す者が増加。アメリカで勉強に励む学生も、明確な目的意識を持ち、専門知識の習得に余念がない。
かつては、「出る杭は打たれる」で、帰国した留学生を受け入れようとしなかった日本の企業も、多様性の大切さを認識し、留学生の採用を積極的に行うようになってきた。海外大生のための就職情報サイトhttp://kaigai.rikunabi.com/index.htmlが立ち上げられ、春と秋には、全米各地で、大掛かりな就職フェアが開催されている。
卒業間近の学生たちは、こうした日本の変化を視野に入れながら、就職活動を進めている。専攻分野に関連ある職場で1年間働けるOPT(Optional Practical Training)を利用して、アメリカ社会での実体験を積む道を追及しながら、日本企業就職という選択肢も確保する。どちらか一つの国に的を絞って、就職活動に専念している学生に比べれば、二倍、あるいはそれ以上の努力を払っているというわけだ。
なぜ、二倍以上の努力が必要なのかというと、日本とアメリカの面接のあり方が、まったく違うからである。
まず、提出する履歴書が違う。英語はタイプ打ち、日本語は手書き。英語の履歴書が、本人のスキルを際立たせることを最優先するのに対し、日本語の履歴書では、アメリカで差別の原因になるとして嫌われる写真、年齢、趣味、家族構成などが問われ、実績よりも、どこで働いたかという経歴の方が重視される。
「型」も違う。英語の面接では、会話の一部として身振り手振り、視線などのbody languageが多用されるが、日本語の面接では、美しいお辞儀と、両手をひざの上におき、相手の話を傾聴する姿勢が尊重される。
そして、質疑応答のしかたも違う。英語の場合、自分の能力を完全に把握して、それを堂々と表現することが求められ、希望する企業に対する積極的な質問も、どれだけ企業について下調べしてきたかを示す重要なポイントとして捉えられる。一方、日本語の面接では、落ち着きのある雰囲気や第一印象が大切にされ、本人の実績や会社に対する質問は、形式に終わることが多い。
同じ「面接」体験の中身がこれだけ違えば、違和感を感じる学生がいても、不思議はない。
この違和感は、どうすれば払拭できるのか。なりきればいいのだ。鎧兜をつけているときは、武士道に徹し、テニスシューズをはいたときには、広いコートを縦横無尽に走り回る覇気を持つ。日本人である自分とアメリカで教育を受けた自分が、「板につく」につれ、日本語環境なら日本語で考え、英語環境では英語で考られるようになっていく。二つ以上の言語を使い分けられる人間は、言葉が反映する文化の違いに気づく率が高いので、自ずと、発想が豊かになる。他の人が思いつかないことを指摘できるモルタイカルチュラルな人間は、アメリカだけでなく、世界に通用する貴重な人材だ。